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メール・マガジン
「FNサービス 問題解決おたすけマン」
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★第108号 ’01−09−28★
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さらば性善説
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■この一文はNYテロ大事件の前に準備していたものです。
読み返して我が関心の矮小さを感じないではありません
が、<頭上のハエを追う>ことはやはり大切、、、
●ある朝、新聞を
広げてガックリ。 昔は<三面>と呼んだ頁の半分は神奈川県警不祥事、
残り半分の半分が高祖氏派選挙違反、その残りが外務省ホテル代水増し、、、
全頁、役人の不始末で一杯でした。
<三面記事>とは、社会一般雑事件の報道記事。 些末で雑多、あまり
上等でないオハナシの代名詞でもある。 どうやら役所はどこも、職位
では<上等>の人が<あまり上等でなく>振る舞っているようです。
この際いっそ超法規的に、身を慎まない公務員、中でも<エリート>は
世の見せしめ、銃殺刑にでも処して最後の公務を果たさせてやろうでは
ありませんか。 一罰百戒、こういう奴はこうされるんだぞ、と。
*
人間社会の円滑な運営に、<組織>と<担当者への信頼>は不可欠です。
任せて当然。 「宜しくお願いします」という日本的挨拶は本来、その
意味でしょう。 (どれほど任せるわけでないことが多いけれど、、)
特に我が国の法体系や社会制度は、儒教的人間観が根付いていた時代に
整備されたせいか、どうやら<性善説>に基づいているようです。 が、
敗戦で倫理のタガがはずれてしまったのが運の尽き、
規則で明確に禁じられ、誰かにチェックされるのでもなかったら何でも
あり。 本分に反しても平然、公然、シコシコやらかす奴らが続出する
ようになりました。 今やすべて、<性悪説>基準に改めるべきでは?
即ち、人間の本性は利己的欲望、善なる行為は後天的習得によってのみ
可能、とする荀子の説。 三面記事の人々は、後天的習得の不足や不適
のせいで、悪なる本性が露出してしまった例でしょう。
思えば一昨年大論争を巻き起こした野球監督夫人、まさに本性だけ
でしたな。 相手の気の良さにつけ込み、言いたい放題したい放題。
凄んで黒を白と言い張り、追及を振り切って時効に逃げ込む、、
日本的良俗の逆手を取る奴の方が羽振り良く見える風潮。 それを
<後天的習得>する困った輩が増える一方です。 彼女はその傾向
を大いに助長したと言えるでしょう。 その罪、軽からず。
* *
<後天的習得>は誰にとっても生涯の課題です。 その意味で特に大切
なのは<知恵の着き盛り>。 <エリート>がダメなのは、その時期を
<善なる行為>に関する科目を欠いた詰め込み教育で過ごしたからかも。
高度成長時代、親は忙しすぎたし学校は日教組に占領されていたし、で、
ろくな教育が無かった。 ほかにもあろう、それらの合成もあるだろう
が、基本的な<善>と<悪>についての教育が全く足りなかった。
これで出来上がった人格は、もう人間の手に負えるものではありません。
時には神様も匙を投げる。 サーモスタット屋当時、社員教育でお世話
になったS先生から聞いた話ですが、
それは関西の某新興宗教の教祖様。 「どなたでもお助けします」とは
おっしゃらない。 「戦前の教育をお受けになった方でしたら、私でも
お役に立てるでしょう。 けれども、戦後の教育で出来上がったオツム
はどうも構造が違っているようで、私の力では、、、」
と、入信者を<選別>なさったそうです。 宗教者としては寛大でない、
尊敬しかねるとも言えるが、率直で良心的、私は評価します。 霊能力
にも<専門分野>の別があるのでしょう。
そして今や、その<善意で接しても救えない>世代が親となって産んだ
<次の世代>もすでにオトナの顔して歩き回っているのですから、もう
覚悟せねば。 性善説よサヨウナラ、と。
* * *
それは四半世紀前、桶谷繁雄東工大教授(当時)が「性悪説のすすめ」
(日本経済通信社、’77年)を執筆された動機とも重なり合います。
序章に、「数年以前から、現代の日本の社会状況を見ると、」、「一種
の<いらだち>を感じ、」、その原因を探って「戦前の日本人と戦後の
それは、人間をどう把握するかの点で」全く断絶している、と気付かれ、
「国の制度の中の<教育>の全き変革に由来する」と書いておられる。
「まさに<こころ>の点で、、、日本人は戦後教育によって変わった」。
「日教組教育の成功によって、、、新指導者層には<恐怖>による以外
の支配手段は残されていない、、」とまで考えられたくらいの深刻さ。
前記教祖様とはもちろん違った体験や観点からなのに、戦後教育の成果
に絶望を感じておられるところは同様。 「現代の社会現象を見ると、、
人間が根源的に<悪>なる存在である、と考えなければ説明がつけられ
ない、、」が故の<性悪説のすすめ>でした。
とは言え当時は未だ、その種の<事件>は<点>でした。 桶谷教授の
危惧は的中、今やそれは<線>を超え、<面>のレベルに達して、、
「聖域なき」、と小泉首相が改革を唱えるのはその故でしょう、社会的
腐敗は隅々に及んでいます。
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●それが俗世間というもの
かも知れませんが、役所や役人は<俗>と分けて考える必要があります。
役人の行動規準は我々のと同じではあり得ないはず、税金を<払う側>
と<食う側>の違いがあるからです。 彼らが
<食う側>にいるのはたまたまの成り行きで、人種が違うわけじゃない。
当今<払う側>は、ストレスに耐え不安におののきつつ、過労死や家庭
破壊の危険をも冒して働いているのだから、せめて<食う側>に<食べ
させて頂いている>くらいに認識して欲しい、、、 は俗世間の常識。
だが<食う側>、不祥事関係者だけでなく<食う>割に働かず、身の程
知らずに<食欲>を募らせ、それを満たすためにしか権能を発揮しない。
で出来上がった、ウォルフレンの言う「人間を幸福にしないシステム」。
そのシステムがそれでも機能し、運に恵まれて成果を生じたこともあり
ましたが、ツキは永遠でない。 バブル後の長ーい不況で<払う側>は
すっかり衰え、もう黄金の卵を産む鳥じゃなくなっています。
*
そんな実情を<食う側>は理解できない、いや、しない。 公務員試験
を通った彼らですからアタマが悪いんじゃない。 <性>格の<悪>さ
で理解しないのさ。 毎度言う「外観は内容の表現」、彼らの人品骨柄、
卑しいじゃありませんか。 わざわざヘンなのばかり採用したのか、と
B型は考えるが、まさか! マトモなのを採っても、そこにいる間に
どんどん悪くなる、役人の顔になる。 とすると、
人品骨柄が劣化したのは<そこ>のせいでしょうな。 たとえば外務省。
前外相は「松尾個人の犯罪、、」と強調してましたが、よくもヌケヌケ。
その後も露見した他の不始末を見れば、外務省という組織の<別世界>
ぶりは歴然です。 そんなこと見抜けない彼じゃあるまいに、役人たち
におもねる方を選び、国民への説明を怠ったとは<性>が<悪>い。
柿沢元外相の言う<お客さん>に徹し、任期中大過なく、、 と思った
か知らないが、誰よりもグローバル・スタンダード化の矢面に立つ身で
ありながらアカウンタビリティを果たさなかったのは罪。 犯罪、です。
彼の後を引き受け、正常化を図ろうとする女性外相には様々のイジメが
降りかかる。 男のヤッカミか組織防衛か、<性>格の<悪>さ歴然。
たしかに彼女、カルイし上品ではない。 岡崎OBが「しっかり勉強し、
外交さえやって下されば、」と外交官的表現で言うのは、「勉強が足り
ない、本来の職務を果たしていない」の意。 たしかに、改良余地多大。
さよう、彼女の場合まず勉強すべきは<性悪説>、、 でしょうな。
* *
役所に限らずビジネス活動でも、彼を信頼したために、や、任せたはず
だった、の<性善説的弁明>は、単なる知的怠慢の告白に過ぎません。
’99年の横浜市立大病院で起きた患者取り違え事件に地裁判決が
出ました。 記事にいわく、副院長で安全管理対策委統括T教授
は「誰かが見てくれるだろう。の善意を前提に信頼し合う暗黙の
了解があり、幾重にもチェックが漏れた」と反省する、と。
<善意>や<信頼>が明らかに<怠慢>と同義であることの一例。
誰かを信頼し、何かを任せなくちゃ仕事は捗りません。 が、あなたに
見えている通りにその人が問題を見据えているのか、あなたがそうする
だろうようにその人も課題を処理するのか、は確かめる必要があります。
人は信じるべきだが、仕事はチェックしなくてはいけない、と申します。
それがマネジメントの基本です。 身内しか信じない、しかもチェック
は全然しなかった外務省や警察は、即ちマネジメント不在。
<エリート>だからでしょう。 ほかの役所でも似たようなことだろう
し、ヒョッとして、あなたの属する組織でも?
<狂牛病疑惑>における農水省の鈍感さ、手ぬるさ、言い訳の
バカバカしさ。 国民の命より風評被害防止を優先するとは、、
* * *
新聞のコラムに「<プロジェクトX>は過去の成功物語。 心して見る
べき。 特に人間関係は、かつてのモデルは通用しない」とありました。
別に異議無し。 ただ、一つ質問。 じゃ、どうします、近頃の人を?
<終戦のご詔勅>の通り、相手の<性>の<悪>さを承知で「耐え難き
に耐え、忍び難きを忍」んで行くしか無いのか?
もともと
To err is human. その上、刺激過多で注意散漫、転ぶにも手を突かず頭からという運動機能不良、こらえ性が無くてすぐキレル、、
なるべく一緒に仕事したくないタイプが増えました。 こいつにあれを
させたら、、? その業者にこれをやらせたら、、? この計画を
その段取りで進めたら、、? いったい、何が起きるだろう???
* * * *
まあこれからは、PPA的に進めるのでもないと、課題は達成できない
でしょう。 少しでも先手回しに補強をかけておくに限ります。 それ
は相手を疑う心ではなく、手を携えるなら共々成功を味わおうよ、の心。
あなたの見方をワーク・シートに描き出せば、相手にも見える。 相手
がそこに書き加えてくれれば、相手の見方も分かります。 確かめずに
信じ込むのはあなたの自由。 だがそれは性善説でなく、ただの手抜き。
シートという<形>が、お互いのどこが<悪>いかに気付かせてくれる
でしょう。 そこに工夫を加え、互いに了解した上で、として行く、、
善なる行為の自然発生が望めない以上、そのような意識的手段を用いて
<後天的習得>を助け、その累積から生じさせる必要があるのです。
即ち、
Rational Process は<性悪説>マネジメント円満化のツール!■竹島元一■
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